2014年7月23日水曜日

美味しい時間



スレイマンアゲート。ミルクチョコレート三角おにぎりのような
リュミエールブランシュにて、up準備中

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自宅仕事の或る日のブランチ。在ったもので何となく造りはじめたパスタ。アスパラ、ミニトマト、マッシュルーム、大葉のペペロンチーノ。写真を撮るつもりでは作ってなかったから、切り方もアバウト。炒めている途中に「食についてブログ書こう」と考え事をしていたことから、急に思いついて食べる前に撮影してみた・・・盛りつけもイマイチ。(笑)

私は基本的に「一日一食」。朝はコーヒーと、日によって違う、何らかの体に良いものを入れた(そのために食べている)ヨーグルト。お昼は食べずに、サロンの仕事に行かない日は、家仕事をしながらグラスに軽く一杯の赤ワインを「ランチ」としたり。

完全にひとりの空間で日々の自営業をするようになってから、どのくらいだろう。奈良に住んで居た頃は3部屋もあるオフィス兼サロンを借りていたから、両親の居る自宅ではなく、事務作業もすべてそのオフィスでやっていた。横浜に来てからは親子二人暮らしで、娘を送り出せば夕方まで一人につき、結局かれこれ・・(サロンの来客は曜日によってあるにしても)なんと、8年目。

今は犬たちが居てくれるから、ある意味で賑やか。そして「育児」(犬たちの)に忙しいながらも、基本的には完全に自分空間、自分時間の中、日々の仕事をアレンジ、マネージしていく。これはとても贅沢なことなのだろうと思う。かつては私もサラリーマンだったから・・でももうそのありがたみも、どこか淡くなっていて、当たり前の要素になっているから、その事自体をありがたく思う。自分で作り上げて、勝ち取った「当たり前」が、もうかれこれ10年ちかい自営業になっている。

たまに自分の仕事を「自営業」ではなく「自由業」と表現する。エナジーワーカーというのはよくお客さんに言われるけれどとてもクリエイティブで自由。無限の創造空間から、自分に出来ること、自分がやるべきことを引寄せて自分という導管により現実界に映し出す。加えて自分の趣味というか人生の一部、唯一の執着?とも言える大好きな石を商うことと、こうしてブログや、超長編ファンタジー小説を書くということをしている。ゆえに「自由業」というアイデンティティを持っている。

まだまだ、やりたいこと、開拓していきたいことはたくさんある。一度すべて何も望まない心境で空気のように生きていたいと思っていた数年から、むしろ、頑張って昔を思い出し、昔に興味を持っていたこと、やろうとしていたことの続きをすることにしようとなって、はや5年が過ぎた。自分の人生の、3次元と五次元の融合は、そろそろ落ちついた頃合い。まったく違うジャンル(今の仕事とは)も、40代の今のうちに歩み出せば、50代まではだいぶ時間があるゾ。自由業の自由さをうまく活用して、噛み締めながら進んで行こう。

さてさて。食について。


タレント本なんて普段は買わない私が、好きな女優さんの一人であるグイネスの表紙に思わず手にとってしまった『パルトロウ家のレシピノート』(幻冬舎)。


現在はロンドンとニューヨークを往復する生活をしているという、二児の母でもある彼女。初めて目にした時は「なんて奇麗な人なんだ」と本当に衝撃的だったのだけど、その後おちついて色々な作品を見ていると、確かに美しい人ではあるけど、「恋に落ちたシェイクスピア」の令嬢が少年に扮装しているという役を演じて不自然じゃなかったように、ボーイッシュというか、精神性において清々しい「男気」が軸にある人なんだと思うに至った。この表紙は不自然にバービーの様ですが(笑)実際の彼女の近影はもっと自然体で、素敵にさばさばとした美しい人という印象。

一流のハリウッド女優だと思っていたグイネスを、テレビシリーズで目にしてびっくりしていたんだけど、小さいお子さんが二人居るのだと知って納得。長期海外ロケなどが常であるハリウッド映画の仕事は、子育て中は難しいだろう・・きっとそれゆえのドラマ進出なのだと母心を感じて共感したりして。

この本、グイネスのエッセイもたくさんで、レシピにコメントが入っているので、読んでいても楽しい。ロンドン/ニューヨーク暮らしで基本はマーケットで地元農家の野菜を使っているというグイネスは、家族ぐるみで親交があるバターリ氏による前書きいわく「フレキシタリアン」で、つまりフレキシブルなベジタリアン。良質な野菜を中心にしているけれど、乳製品など動物性がすべてタブーな「ビーガン」ではなく、また「絶対ベジタリアン」と気張るのでもない、フレキシブル(柔軟性のある)ベジタリアンとのこと。・・僭越ながらわたくしも。

都会でありながら市場がたくさん出るニューヨークやロンドンとは違って、また日本は放射能関係もあり、西日本のものを探してみたりが常だったり、サロンの仕事で帰りが遅い日は、セレブ系?スーパーの「無添加」おそうざいシリーズを買ってしまうことも多しだけれど、この本で展開しているような、愛する人々と、体に良い美味しいものを食べていること=幸せ というテーマは、年を重ねる程に、また母親としての日々の中で、実感することの多い今日ころごろ。

ホットニース風サラダ、グリルドツナとグリュイエールのサンドイッチ、ペンネプッタネスカ、舌平目グルノーブル風、スローローストトマトとバジルとスモークモッツアレラのフリッタータ・・・ページを見ているだけでも美味しそうかつオシャレなメニューがぎっしりと。う〜ん、ロンドンとニューヨークを行ったり来たり、そして(本ゆえに美化されているとは思うけど)こんな食卓を囲む生活はとても素敵。

前書きのバターリ氏の言葉。「グイネスがもっとも伝えたいのは、大切な人と囲む食卓を思い、準備をし、一緒に食べる楽しみから得られるかけがえのない喜びだ。」

「家族って何だろう」と、一般的な家族制度とは違う道を歩みながらの自分はよく考える。家族って、食卓を囲む人々を言うのではないかな。と思う。欧米の映画を見ていると、ホームパーティ、友人を招いたミニパーティなどの、西洋風「おもてなし」文化があり、基本的には自分の誕生日であっても、友人達を招いて自分が料理を振る舞う(少なくとも米英はそのようだ)。楽しそう。

古いビルディングに住まうニューヨーカーたちは屋上で。トスカーナやプロヴァンスは庭にもうけたテーブルで。。(映画の見過ぎか)。。基本は赤ワイン。楽しそう、美味しそう。そんな文化の中では、集まって食事する人々はゆるい意味での「家族」と感じているような一体感がある。私はきっと本当にイタリア人かフランス人だったのかもしれないな〜、最近まで。(食文化の関係から、本来いちばん馴染みのありそうな「イギリス」とは敢えて言わない/笑)

そうそう、この本の良いところは、グイネスの食材へのこだわりが伝わってくるところ。赤みの肉をなぜ食べないのかというコメントが載っていたり、「良いものにはお金を出して」という言葉があったり、「健康食品店や専門店に行く時間がないときは。−−上質なものにすれば、体に感謝される」というページがあって、本当はこれがベストだけど、専門店にしか売ってないから無い時は無理をせず手に入る中でもより体によいものを、というコンセプトでアイテムを紹介していたり。私もまったく同じ考えで日々、「フレキシタリアン」をしているので、うんうんと頷きながら見ている。

出来ればオーガニックがいいけれど、完璧は求めずフレキシブルに。基本は野菜だけれど、育ちのよい?良質な鶏肉やお魚ならば適度に取り入れて・・など。色々試して、私としても行き着いたのはここかな、という落としどころ。人間である以上、楽しむことを忘れてはならない、どんな事柄でも。「人間は、喜び楽しむために生まれて来たんだよ」と、ずっと昔に人に言われて「え?まさか」と思ったものだけれど(試練を味わうために生まれるのだと信じていた・・それももちろんけれど。それも含めて楽しむという感じかな)・・その点では、あの人は正しかったと今では思う。

話を最初に戻すと・・・

ひとりの食卓。自分のためのお料理タイムも、(面倒くさいこともあるけれど)まあまあ楽しいこともある。食材との会話、自然の恵みを感じる・・そのためには、調味料もひとつひとつこだわることで、エナジーを感じながら、素材に感謝し、語り合うように食べることが出来る。アルプスやフランスの岩塩、バルサミコ酢、オーガニックのオリーブオイルにハーブミックス、レモン果汁・・それらはいつも食卓にあって、シンプルな料理にパラパラして、お皿の上で味を作って頂くのも楽しい。

基本的には娘と一緒の夜しか食べない私だけれど、見たい映画があったり、ちょっとゆっくりしたい時にお腹が受け入れられそうならば、ブランチやランチを気ままに思いつきで造り始める。昼間だから少なめに一杯の赤ワインと、パスタ。食後のオーガニックコーヒー。狭いキッチン&地つづきのリビングだから、お陰で造り始めからコーヒーまで、1本の映画を見れたりもする。自由な自由業、バンザイ!(笑・私はこれ以外には生きられない人間)

この四日間、サロンでセミナー(理由あって9時帰宅)、サロンでクラス(別の理由で10時帰宅)、サロンで瞑想会(また別の理由で10時帰宅)、業者さんへ仕入れ(8時帰宅)と続いたせいか、まったく予期していなかった「肉体的疲れ」を久しぶりに味わい、「あれれ」と思うくらい、「疲れる」こともなくなっている訳だけれど、その疲れ・・宇宙人化した体には別の作用を齎すのか、「今日は疲れたから早く、たっぷり寝る」と宣言したのに2時間で目覚め、逆にチャージされ過ぎて(何に?)持て余してPCに向かった・・・そして今、そろそろ夜明けです。

このまま起きて、珈琲を飲んで瞑想しよう。

業者さんで新たな美しい素晴らしい石たちをたくさん、仕入れて来たから・・・今日からまた新しい何か。すべてにおいてフレキシブルな時間と感性と食卓を楽しもう。

Love and Grace, 

2014年7月11日金曜日

かめばかむほど/宇宙びとのブランチ



今日のブランチ。くるみのバゲット、ミネストローネ、野菜サラダ。

人間の肉体の重さ。それを楽しめている人もいるし、そうじゃない人もいる。スピリチュアルな人々の中でもスターピープル系の(私もそう)人々は、肉体に入っている事にすら、子供のころから違和感を感じているくらい。。それは深刻。「不自然」と思いながら地球の転生サイクルに入っているので、何度も何度も「おかしい、何か変だ、こんな筈では・・」と人生を苦しみながら繰り返しているうち(昔ならばきっと修行者や山のシャーマン等になればしのげたことでしょう)、更にハートの傷深く、第二チャクラにその古傷のブロックが結晶化し、思考回路にも影響。

「生きづらい」とため息を漏らしながら、子供の頃から、他の人々が楽しんでいる刹那的な時間を楽しめず、土を指でくるくるしていたり、虫やお花や小石に、話しかけていたことでしょう。

そんな宇宙人スピリットの人も、今この時代は大きなチャンスとして、自ら喜んで選択し、体験しに来ているのだとか。魂として事前に書いた筋書きとおり、お約束のように生きづらい時代を早くに経験し、ベストなタイミングで、故郷である宇宙の叡智と再会。「これだ」と、衝撃的な出会いを感じる。。。しばらくは、それでもヒトとして生きて来た今生、さらには地球での転生の歴史がおりなすドラマの色々が、肉体内分泌腺と連動しながら、クリアリング時代のスイッチを入れる。

あんなことや、こんなこと。最近の転生から、アトランティス? さらには未知の文明の記憶まで出て来たりして。小さい頃、保育園に入ったばかりの1年目のように、熱を出したり、あそこが痛いここが痛い、現実を通じて気づかされた、、などなど、泣きたくなること、色々。

人によって、人生の歩みは色々だと思う。


ここから自分を語りますが・・
余りに浄化浄化と、そして自分を高めることにフォーカスしていた時代がありました。日々の生活はたくさんの石たちと、サロンを訪ねてくるお客様と過ごす時間が殆ど。若い頃に惚れ込んだ「聖地」の山が、自室からも、サロンからも望める。遠出をすることはないから、常にその山の懐で、その山と森や自然霊たちが醸し出すエナジーの域の中に居る毎日。


俗っぽいもの、すべて興味がなくなっていました。文化的なことも。エンターテイメントや創作物は勿論のこと、かつて好きだった(そう、元々浮世離れしていた娘だったので)歴史探究や、舞台芸術、旅行も。。どこにも行く必要がなくなった、、瞑想すれば何処へでも、多次元に行けるし、ハイヤーからのエナジーで常に満たされ、パワースポットにも行く必要が無かったから。

興味あるものといったら、音楽は瞑想音楽・ヒーリング音楽のみ(笑)。あとは・・天然素材の服や手作り化粧品、石たち。それだけ。奈良にせっかく転居したのに、出歩く必要がなくなって4年間ほどんと観光や、前に好きだった仏像鑑賞、神社巡りをせずに暮らしていた。


今振り返ると、笑っちゃうでしょ(笑)
自然食、ノンアルコール、ベジタリアン。。映画やロックなんてとんでもない!
若い頃は大好きだったものであろうとも、とにかくすべて、興味がなくなって。
自分の過去も。感情思考の浄化が一段落し、過去にまつわる傷がなくなってくると、連動するように半生の記憶が淡くなっていくかのようだった。そして子供時代やヒーリングに出逢う前の人生を、まるで過去生のように遠くに感じて。




或る日の瞑想で、「自分」の「限界」の最高レベルまで上がっていき、「天井にピタっと手がついた」と感じた瞬間があった。「今世では、それ以上(エネルギーを)開発できないよ。それ以上するなら、もう別次元へ行くことになるよ」と、自分の分身のような声が、頭上から響いた。

「・・・ええっっと」

暫し考えたけれど、「家族も居るし、まだ、多分、行けません」

「いえ、行きません。残ります。」

ヒュ〜〜っと、下降する感覚がしばし続き、ストンと肉体に納まり、周囲の世界に気づいたとき。そこが自分のサロンの一室で、陽光を浴びた石たちに囲まれている美しい風景だったにも関わらず、自分の選んだことへのやるせなさが、押し寄せて来た。


「うえ〜ん」と、暫く声を出して泣いた、昼下がりのサロンの或る日。
2009年の4月のこと。




そこから、苦しい時期が始まりました。
なぜって、「ストン」を経て、かつて一度すべて興味を失った人間時代の(笑)自分のパーツが、全部戻って来ちゃったから、大変。要するに、ニューエイジに出逢うビフォアとアフターが一緒になっちゃった。純化に励み、透明に濾過しようとしていた人生が、再び、ニューエイジの思考回路と経験と時間をかけてつくってきたエネルギーシステムはそのままに、再び今生の一人の人間としての雑情報が流れ込み、モザイクになってしまった。



そのモザイクを、再び、宇宙回帰した後の自分の目線で並べ直し整理し、もう一度「あえて興味を持ってみる」みたいなことを少しずつやることになる。


それから4年が経過した。
まだまだ、モザイクと向き合い、ジグゾーパズルをはめている途中のような感じもする。それはそうだ、きっと、ずっとそうして生きていくのだろう。けれどもさすがに、積み上げて来たこちら(宇宙の叡智)の情報を失った訳ではないし、オーラシステムや、この仕事で出てきたノウハウがある。過去感情のクリアリングや思考の色々も、ゼロに戻った訳ではないので、「ビフォア」時代に逆戻りした訳ではない。ただ、興味関心(第二チャクラ)と、記憶や情報の扱いが、大分変わったのは間違いない。


以後の戸惑いと、再調整の時期が落ちついてからは、(この2年くらいかな)未来を感じながら、噛み締めているような気分。ニンゲンであること。ニンゲンとして、人間社会に触れながら自分なりの軌道を造っていくという道のりを。「タマシイの乗り物」としての、自分の肉体。それがエネルギーシステムと、思考とハートとともに織りなしていく現象界の現象たち、その創造の流れと結果を。

かめばかむほどに。噛み締めて、「そうだった、そうだよね、宇宙人として地球人生を、地球人体験の中で完成させる。。それが目的だったよねえ。」とか心で呟きながら、かめばかむほどに味わい深い、『この地球という、どうしようもない(つまり素敵な/笑)ホシ』の、幻想のような瞬間の重なり合いを。ニンゲンである限り感じる、感情というものの忙しさを。思考や理性という時に無駄なブレーキさえかけてくれる安全?装置を。


ブランチを噛み締めながら、ただそんな事を想っていたという今日のお話。
たまたま、クルミ入りフランスバゲットが本当にかめばかむほどに美味しかったので、タイトル、ひっかけてみました^^


Love Life