2015年8月30日日曜日

終っていくこと、続いていくこと、再会するもの。



昨日、29日はお客様がいらっしゃる1時間以上前にサロン入り。自宅からこのようなカゴと、引き出しを、大きなカバンに入れて(何とか入った!)バスに乗り、運んでいました。引き出しはだいぶ前に古道具屋さんで買った、アンティークという程ではないけど日本の古いものをフレンシチックにお店の方がアレンジしたもので、奈良のサロンに置いていたのを、最近は自宅用になっていて。

それが、なぜって。。
ただいま、サロンはちょこっとした改装中です。リニューアル!と言いたい所だけど、いらっしゃっている方はご存知の通り、なにしろスペースに限りがある。だから、「大々的な」とは言えないまでも、出来る範囲で、変化を感じられるようにしたいと思っています。

前記事からの流れとしては・・
こちらのダイヤリーの20日の記事のあと、メインブログに25日に書いていますので、宜しければそれもお読みください。その後・・26日のこと。夕方、家の用事の帰りにフラっとサロンに寄りました。植木の水やりや、ちょこっとしたワークでもしようかなと思って。すると・・・

サロンに入った瞬間の空気は、とても良かった。
「あれ?私、昨日とか、自宅から遠隔で何か(サロンに向けて)やっていたっけ?」と思うくらい、精妙でハイエナジーになっていて。軽く驚くくらいの変化でした。

すると・・・数秒後、
「ああ、ダメだ!」と、急に怒濤のように、サロンにある石たちや見えない情報、大きく育った植物たちなどから飛び交って交錯する電波が、急に不快に感じられて、これまで、今のサロンを2012年1月に移してから初めて、その混乱振りを正面から受けとめて自分も混乱したというか、何とかしなくちゃと思い立ちました。

実は・・ディーザのヨリシロ、マザースカルが来てからでしょうか、少し情報過多、エネルギー過多な感じはしていました。とはいえ、以後も大きな石が増えたり、自宅から更に本を運び込んだり、繋がるエネルギー源が増え、コネクションが増えて、この夏はとくに8月に入ってからの私自身のシステムの変遷、新たな回線が増えたことによるシフト、ヴァージョンアップはかなり進みました。極めつけが恐らく、20日と22日のセイキムセミナーだったのでしょう。

メインブログの記事で書いていたように、今回のセイキムはイレギュラーで急に決めて設定していましたが、それにより、昨年12月のセイキム初セミナー前日にあった「イシス瞑想会」で開いたもの-- まあ、これをミッションとか任務とか言ってもいいのかもしれません -- が、無事に終わったようだと、知らされた様でした。それゆえなのでしょう、「目をお返しします」と言われたあとの、エネルギーの日々の流入が凄くて、これは、イシスと呼んでいるエネルギーですネ。。

その前に繋がってワーク化した、ハトホルとは違い、またディーザも時折、更新されるようで今年に入ってからヴァージョンアップの波がもう何度か来ていますが、それとも違い。。。ヴァイブレーションの強い独特の波長は、何だろうかと記憶を辿っていくと、去年の12/23、チャージされて、そのまま、初セイキムを乗り切った時に起きていた、「イシス降臨」状態の、まさにそれであると気づきました。今回は、セイキムセミナー中は、どちらかというとむしろハトホルでした。が、「目をお返しします」と言われ、ミッションが終了した所で以来ずっと、続いている流入は、イシスのエナジー。この先どう落ちつくのかな。。

イシスのギンギン状態が始まったのが、26日の夜でしたが、先だってその日の夕方にサロンに行った日、感じたのが上記の通りの変化でした。部屋はなにか凄~くハイエナジーになっている。でもそれによって、石たちや植物たち、他の宇宙エナジーが交錯して落ちつかず、混線状態。これは何とかしなくちゃ。。。と。

そして、始まりました。リニューアル大作戦。(笑)

27日(木)と、29日(土)に時間を取れたのですが、続いて今日の作業で下の階はだいぶ、落ちついたところです。エネルギーも整理されたよう。石たち、エヴァちゃん(エヴァーフレッシュの巨木)もお手入れし、落ちつきました。今回じつは、「石を減らしたい」と思う珍しい現象でした。それも「1/2、いや、1/3にしたい」とさえ感じたのですが、増やすよりも、減らすのって難しい。。(途中経過として、現時点ではそんなに減らせてはいません)

心を込めて・・でも頭をカラッポにして、受信体制で手と目だけを動かして作業していると、どうすれば空間や石や植物たち、そしてここに踏み入る人々が心地よく感じるのかが、見えてくる。粒子の流れが導いてくれる。そして、目と手が勝手に動く。思惑や思考ではなく、ひたすらにエナジーの粒子、周波数、バランス、モノとモノが奏でるシンフォニーの結果生み出される共振の、心地よさ。違う時は「これは違う」と目が感じる。そして無心で手を動かしていると、出来上がっていく。。。

二階のロフト。「宇宙船」と呼び称される、下の階よりも更にハイオクターブな不思議空間・・のハズなのですが、今回、どうにもこうにも、居たたまれないような気持ちになって「減らそう」「片付けよう」と、初めて思ったのは、これまでとても大事なものとしてグリッディングしていた日本の石たちによる、アースワークの祭壇でした。何が起きているのでしょう。「卒業」「もう終わり」・・・これは、『古代の扉』以来の、日本のあれこれ、少なくとも私がそこに関わる「課題」はもう合格、そして卒業、なのでしょうか。自分でも意外な、びっくりな感覚でした。

今日、そのグリッドを片付けて来ました。
四元素の祭壇、まん中には、ディーザのマザースカル、そして、ライトワーカーのネットワークの象徴であるロシレムマザーを、三つ、どんどんどん、と並べて。元々そこにあった日本の聖地からの石たちをすべて片付けました。さらには、「創世記」シーズンに配置していた「堕ちた次元存在(アルクトゥルス由来の巨神系存在)」を象徴する石たちも、もう「終った」と空間が醸し出していたので、片付けました。

セイリオスを改編しようと試みた6月。実際にそれで動き始めた7月以降。そして8月のセイキム直前の「ハトホル」、さらにセイキム。これで本当にひとつ区切られて、6月に感じて試みたことが、全体に染み渡った。もしかすると私が意図したことが、根っこや枝葉など全体に渡り、広がって、具現化・現実化した。その結果としての、「卒業」であり「目をお返し」であり、直後からのイシスエナジーの連続した流入・・ サロンも生まれ変わる必要性、という流れなのかも。




さらに象徴的なことがひとつ。

サロンリニューアルの余波を受けて、自宅でも本棚や押し入れなどで整理をしていると、2年前にこつ然と消えたメテオライトのリングが、目の前に現れました。

これにもびっくり。
昨日の午前中の出来事でしたが、さっそくこれを指に通してサロンへいき、模様替えの続きをしていると、午後からセミナーにいらっしゃるカレッジ生の方が、「電車が止まってしまって、バスでいくので遅れます」と連絡を下さり。。拡げてしまったものを片付けるのに、ちょっと時間が足りないかなと思っていたところ、これも天の計らいかしら?と。お陰さまで、同じくなペースで淡々と作業を続けて、ちょうど終った、片付いた、という所へNさんがいらっしゃいました。

セミナーで色々とお話をしていると、
「ちょうどバスの中で、このお部屋の情報を Amari さんが整理しているという感じがしていた」とのこと。。。『ええ、していたんです、実際に!』と私(笑)。いや、Nさん凄いですねとお話していました。おまけに彼女もメテオライトリングを身に付けていました。。(笑!)

Nさんとおしゃべりする中で、私がこのところ考えている、新たなメタフィジカルの在り方、ヒーリングというジャンルの具体的なメカニズムの整理、情報を別ジャンル、とくに科学的な視点と繋げていくべしという見解、同じようなものを彼女も持っている(言ってみればカレッジ3期は、共通してそういったテーマを共有しているように勝手乍らに感じています)という部分で、お話にも熱が入りました。

別の学問や、古いけれど宇宙の真理がつまったインド哲学などと照合していくことで、フワフワしたヒーリングというジャンルを、地に近づけたい。単に地上的にすることは簡単なんです。でも、人間に近づけるために下へと引き下ろすつもりはなく、我々が宇宙のシステムの一部であるという目線、神智学と同じような目線を使って、システムをリアルなものへと翻訳し、地上で活用したい、するべし、という気持ち。

それは、アナログ地上波から、BSデジタルハイヴィジョン、くらいの違いになるはず。

以前からジワジワと感じつつあった、増え過ぎてしまったサロンの情報波。
今回は、トドメにもなったようで、どうにもこうにも堪らん・・という急激に襲われた感覚のもと、手を入れ始めました。ロフトのほうは、まだ少し時間がかかりそう。オーダーしたものもあるので、今週一杯かかるかな、早ければ土曜日、または日曜日に完成できるかも。

感覚のまま手を動かした結果、見えてきたものは何なのか。
並んだ石たちの奏でる新たなシンフォニーから、今後のアルンガンザの何が見えて来たか・・は、完成してから、書けるところは書きたいと思います。メインブログのほうかな。

プラス、石巫女クラブですが・・
今回、石の配置をして行った結果、最初は、「もう新しい体制に入るから石巫女もなくなるということかな」と頭で考えながら整理を始めましたが、出来上がっていくものを見て、「これはきっと石巫女をするための、やりやすいための配置でもあるかも」と、感じられて来ました。増やすのではなく、むしろ減らすことで、それぞれの個としての石に集中するワーク、学びが、浮かび上がってくる感覚がありました。アースワーク要素が、サロンの中で行き交わなくなるのも、意味するところが大きそう。

石や、肉体、人間の脳や科学的な視点などと、エネルギーワークをうまく繋げていきたい、というのが、今年の始めに感じていたことでしたが、ここでようやく、昨年末からのイシスプロジェクト、創世記、アトランティス~エジプトのライトワーカーたちの集合意識、直結するグループソウルのカルマ・・などが「任務完了!」となり、前に進めるのではないか。その流れの中に、石巫女もあるのであろ~ウ。と、爽やかに感じられました。

すると、クラスを移っても大丈夫、とのご連絡が一件はいりました。
どうやら、その流れかな。
少なくとも、ひとクラスは4名で成立できそう。

とてもとても、爽やかで、感謝でいっぱいの夏の終わりです。

ひとつひとつ、出来ることを、前に進めながら、踏み固めていきます。

Love and Grace,

Amari

2015年8月13日木曜日

ハトホル・ホワイトピラミッドヒーリング

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3期生のみなさん、中級修了課題がんばってください。瞑想CDはこのお休み期間中、2日ほど作業できそうな日がありますので、私も頑張ります。録音して・・その先初めてなのでまだちょっと不安はありますが、きっと大丈夫でしょう。


何の気なしに、糸魚川の碧翡翠をちょうど、並べてワークしていたのですが・・そこにも繋がりました。古代日本うんぬんは、エジプト展に出かけた翌日になぜか怒濤の情報が来ていて、創作のソースになるようだし、執筆は来年を予定していますが、ずっと続くのだろうと思います。私は生まれも育ちも新潟ですが、カレッジは一期から毎年おひとり、新潟から。3期はお二人です(。コシの国は、けっこう大事なキーなのかも。イイトヨさん、「青皇女(あおのひめみこ)」のなせる技かもしれません。


さてさて。今回セイリオスのヴァージョンアップ瞑想で、ハトホルのヒーリングを行なうことになったという流れは、前回の記事で触れていましたが、実際にインスピレーションをもとにメソッドが決まり、当日行なってみて、本当に素晴らしい・・というと明らかに自画自賛なのですが、こちらも誘導していてそのヴィジョンとエネルギーと世界に、呑み込まれながら圧倒されながら、恩恵を受けとっているような状態でした。今回はエジプト展に出かけた翌日に起きたエネルギーの流入から、セイリオスでのワーク化を促されましたが、それ以前に予告していたように、やはりハイウェアに加えたいと思います。近日、upしますのでぜひ覗いてください。


現時点で少し、シェアさせて頂きますと・・

乳海撹拌のページに詳細が載っていますが、乳海とシャンバラの白い山が聳える世界。その乳海の上に、巨大な純白のピラミッドを出現させます。その中に入り、ハトホルエナジーの到来を受けて、お腹の中に誰もが持っているカルマの歴史が刻まれたディスクへ、癒しと解放のエナジーが入っていきます。地球人類の歴史はもとより、その前文明といわれる金星でのヒューマノイド(シリウス系)の歴史、水星や、太陽の文明などを「知り尽くしている」愛の集合意識フィールドである『ハトホル』は、今回セイリオスの直前に、アルクトゥルスとも関係が深い事が分かりました。

アルクの原型ステーションによる、アストラルフィクセーションも、今回即興でワークの後半に入りました。皆さん、前回セイリオスに参加していた方も多かったのですが、「乳海のライトグリーンの光線」(こんど乳海撹拌ワークの、3本立ての2つめとしてupします『顕現のトリニティ』)で、ヴァージョンアップ、シフトアップのエネルギーが入ったことにより、現実のリバウンドというか自分の潜在意識やチャクラのアンバランスが見せてくる「心地よく無い現象」で、すこし疲れた、大変だった、というシェアを事前に頂いていたのですが、それが今回のハトホルで、癒されるという流れだったようです。本当に、いつもながらよく出来ているなあと思います。


結局は、なにか抵抗のような形で家族や周りの出来事として出てくる不快要素は、「反動」というよりも、自分自身の「変容に着いて行ききれていない」自分の一部が、自己主張をしてきているに過ぎないのですよね。だから、問題は家族や現象ではない。自分自身のどこに何があるか。そこでセルフワークをすれば、あっさりと解消されることもあるし、根深いものが隠れて抵抗しているのならば、そこに特化したワークが必要な場合もあるかもしれない。


そんなわけで、委ねの中で自然と今回のメニューとして決まった「ハトホル」は、癒しであることは間違いないけど一体何をしてくれるのか?と思っていたらば、
当日の即興の誘導の中で、私、こんなことを口にしていました。『あなたの歴史を癒します』

ディーザはいま、アースワークでとても大事なソースで、創世記で出てきたような「沈んでしまった次元存在」のような巨大な、本来人間である私たちには手に負えない様な大きな神様的な存在が堕ちてしまったものに対して・・またその沈んだ力にひっぱられて起きた歴史時代の人間たちのあれこれのまとまった事象に対して、ディーザという創造の源のエナジーで癒しが可能であることが、今年に入って教えられたことでしたが、
ハトホルは、個々の人間のカルマデータ、つまり歴史そのものを癒すようです。それは、原型ステーションに通じる部分があるからこそ、なのだということも今回分かりました。が、たとえば「ソウルインテグレーション」ならば、アルクのステーションの『再生の部屋』に皆さんを転送し、文字通りソウルシステムのインテグレーション、統合を行なう訳で「統合」が目的ですが、

ハトホルの場合は、より感情や感性や肉体、地上でのパーソナリティに根ざしたヒーリングが起きる。過去のカルマデータから今生に影響されて起きていた、最近の傷みや、今現在の感情的な傷みや、そこから来ている肉体的傷み。母性と愛の集合意識のネットワークにアクセスし、更に一段高い、ネットワークである「マイトレーヤ」にも関係しているような気が、今回していました。マイトレーヤは恐らく未来であり、ハトホルは過去なんです。過去から・・引いて現在の私たちに響いているカルマの歴史と、そこからくる傷み。

マイトレーヤはまだまだ遠く、ハトホルの一部であるというより、連結した存在感を感じるアンドロメダの愛の源という感じですが、それが直で癒してくれるという段階には、人類はまだ至っていなくて、マイトレーヤのアチューンメントもハイウェアで検討中ですが、むしろ目覚め、宇宙DNAの活性などのワークをしてくれるようです)


特に、信仰や宗教や呪術など、ライトワーカーの人々が転生のたびに関わってきたカルマ的な攻防、せめぎ合い、人類のためと言い乍らも自らが背負ってしまった「光と闇」に関わる争いによる、ダメージと傷み。それが刻まれたカルマデータを、お腹のみぞおちにアプローチし、ディスクにアクセスし、癒しを起こします。今回ほんとにビックリしましたが、自分自身が「リリスリリース」を始めるきっかけとなったものが色々と出てきた時に、浮上していたものの原型がエジプトの過去生にあることが分かりました。リリスとニンフのサージェリーのワークも、みぞおちからデーターを取り出すので、なるほど納得でした。ハートシードとも言われるこのスポットは、各人のカルマデータが内蔵されているようです。


急にヴィジョンが降りてきて採用することにした、「乳海に浮かぶ純白のピラミッド」は、本当に、荘厳さと神聖さに圧倒されるほど。ホワイトピラミッドの中で、ハトホルのヒーリングの流れで自然に、レストレーションとなった経緯は、その場での私の即興的なことでしたが、実は先だって、ハトホルもやはり、アルクトゥルスの原型アーキテクノロジーから始まっていると感じていたのです。。。牛の耳、ですからね、同女神は。

そして、今回はエジプト展に出かけたことが契機となって、エネルギーの流入もあり、示唆がたくさん降りてきて、以前からあったものと次々と繋がっていったのですが、「イシス、オシリス」神話は後々からとくにギリシャ〜ローマ人によって栄えて広まったことで力を持ったようで、二神の子供であるとされている「ホルス」さえ、独立した別系統であるという気がしてきたところです。ホルスは本来の名前が天空を意味する「ヘル」で、英語では同じ発音で地獄を意味しているのが面白いですが・・・ハトホルは、「フウトヘル」が語源で、ヘル、つまりホルス神の「住うところ」なんだそうです。

まだ何とも言い切れませんが、ナチュラルスピリットさんの「ハトホルの書」は、刊行された頃に一度だけ読んで、チャネリング本は他も殆どそうであるように、一度だけイニシエーションのように読み、以後はずっと手をつけずにいる大事な本のひとつですが、同書で言うように、金星なのでしょうね、やっぱり。ホルス神=ヘル神が、金星由来の存在であるという事かもしれません。イシスとオシリスはやっぱり、作られた存在であり、もしかすると宇宙エネルギーや、DNAの系統や、当時(アトランティス)で行なわれたDNA交配やそれを巡るプロジェクト色々の、シンボルなのではないかと、今回あらためて思いました。やはりイシスはシリウス、オシリスはオリオンでしょう。


エジプト神話は、日本神話以上に、「おばけ」だと思います。日本神話、日本古代史を「おばけだ」と、どなたか作家の方が言っていたのを思いだしたのですが・・・栄えていた期間が長い分だけ、どんどん変転し、日本神話どころではなく(日本も相当ですが)、煙に巻かれるというか、もうお手上げという感じです。アースワークや歴史探究についてよく(私が)使う表現ですが、『ミイラとりがミイラになる』・・エジプトだけにリアリティを増します。(笑)深入りしません。

文明としてより古い、メソポタミアに影響も受けていますし、途中からはグレコローマン(ギリシャとローマ)な人々に、好みに変えた形で重用され、イシスなどはその時代から大きな存在になったよう。イシスの原型を求めていると、結局、ハトホルなんですよね。重複することがたくさん。ハトホルは「ラー(太陽)の娘」とも言われていますが、実際は壮大な、太陽系のアセンドした集合エネルギーフィールドが発する、愛とヒーリングのネットワークなのだろうと、個人としてはここ数日で帰結しました。

ハイウェアでのご提供を始めます。おすすめな活用法としては、ヒーリングやとくにアクティベーションや現実創造系、大きな作用を産むようなセッションを受けた後や、個人的なエネルギーの流入で起きた「変換点」などに、肉体や周囲の現象、自身の感情的な反応としての摩擦や抵抗や傷みなどがある時のヒーリングとしておすすめします。単にヒーリングではなく、個々人のカルマデータにアクセスし、なぜその抵抗が起きているのかを踏まえた上で、その部分に癒しが入るようです。関連する最近や、少し前の出来事、などの傷みをも癒します。

ハトホルの淡紫のエネルギーには、マゼンタと言うより正確には「ブライトピンク」と言ったらいいか、凄く明るい光を含んだ濃いめのピンク、の光が混ざり切らずにゆらめいて共存しています。それが未来のヒューマノイドがいきつく、アンドロメダの源、つまりマイトレーヤではないかと思っています。そしてこの紫とピンクの光は常に、アルクトゥルスの青い気配と対になっています。高次の世界のシステムを言葉にするのは難しいですが、アルクトゥルスのすべての魂が生み出される原型ステーション、そして未来の銀河であるアンドロメダとも、常に共にある。我々のソウルの歴史をすべて知っているカルマシステムのシード、そのディスクが埋め込まれたハートシードチャクラにアクセスし、肉体とオーラ層にある関連情報を癒してくれるようです。 今日はこのくらいで。。。

Love and Grace,
Amari

2015年8月7日金曜日

エンライトメント 何度でも。


これは6日(木)の空。
先日書いた記事の期間中、普段に比べてかなりサロンデイが続いていて、お店仕事がなかなか時間がとれない中、カレッジのための瞑想CDの(まずは楽曲の)録音なども(まだ完成していませン。。)あり、その連続サロン仕事の山の終盤は、土日連続して、午前と午後のセッションないしセミナーが立て続いていたせいか、月曜日のお客様のスカイプセッションを終えたあと、しばらくぼう~っとして、サロンのエネルギーの中で7月後半を振り返ったり、石を抱えて横になったりしていました。

さすがに、フィジカルな疲れ・・(これが数年前からまったく自覚的に出てこないようになって、エネルギーワークのお陰なのですが。厳密にいうと世間一般の『疲れ』とは違うのですが)・・のようなもの、身体が重いとかどこかが痛いなどは無いのですが、「はあ~・・ちょっと空白の時間を持ちたい」という声が、自分の中から聞こえてくるかのように感じて、あえてぼ~っとしてみました。

30分くらいかな。


いつもはお客様に座って頂いている白いソファにずぶっと深く座って、サロンのまだ明るい空間を見上げていると、キラキラした白銀の粒子が流れたり、白い閃光があったり。そうだよねえ、いつも一緒に居てくれる。私独りでやっている仕事では到底ない・・7月後半はひとつの山を越えたような感じだったけれど、それによってまたブレイクスルーがあったよう。意識の層が変った気がする。そんな変化をいつも、ガイドたちが見つめてくれて、導いてくれているンだ。。うんうん。

言葉にならない所で納得すると、気づけばまたチャージされていて、お腹の奥だけが何となく疲れが取れない。ハートシードかな。(←これは後日すっかりよくなったのですがまた触れますね)

よっしゃ、の顔を自分撮りしたくなった。(笑)
そしてこのあと、目下課題となっている瞑想用CDの、私自身の声の録音。慣れない機械でやってみると、まあ何とかすこしずつ出来た・・・そうこうしているうちに、夜の9時!

エネルギーと、スケジュールのピークを抜けた後のフワフワ感も相俟って、よろよろっとしながら帰宅。翌日は、我が家では「ママday」と呼ばれている、「娘がお休みの日で私がサロン仕事のない日」(=家で事務仕事、発送や撮影などはするので決して「お休み」とは言えない)の、なんと5月の連休以来3か月振りの貴重な1日。。。。以前は「2週間に一度」と決めていたのに最近はそんな状況になっていて、娘はかなり楽しみにしていル。

「さすがのママも疲れているようだから、明日は出かけられるかどうか・・」と呟いておく。「うん、わかった」と娘。けれど、翌朝(火曜日)起きたら素晴らしい快調な目覚め~~~ あら、これなら遠い上野までも出かけられるワ。ということで、エジプト展に行った所からは、メインブログ「世界樹の木影で」で触れたところです。

そんな訳で、また新たなサイクル。を引っ張っていくための新たなエネルギーの流入。精妙でパワフル、愛のミストが密度濃く細流で流れ込むような。そこから展開した翌日の自己ヒーリングは、上述の、お腹の奥にあった普段はまったく自覚していない疲れのようなものを奥から引っぱり出して癒すような事が起きていました。水曜日の夕方、お客さんセッションの後に30分ほど横になって石を乗っけてワークでしたが、それがまた凄~ク聞いて、フィジカルは自覚が無かったのですが恐らくエネルギーの滞りを霧散してくれた感じだったし、翌日からの現象化が、7月までとはガラっと変ったようで、、びっくりする程でした。入ってくる情報も。

大事な部分はまた、メインブログやエネクリとも連動しながら整理していきます。カレッジは、日曜クラスと木曜クラスが、中級の講座を終えました。明日は最後の土曜クラス。

今日、金曜日も、「エジプト展」以来 来ているエネルギーに押されるように瞑想の時間をとりました。石たちも、何か急におしゃべりし始めたような。けれど、パタっとシーズンが変ったというよりも、山の傾斜をずっと昇り続けて来て、ピークを越えたらまだ山は続くけれど見える景色が変ったような。あくまでも続いている流れで、これまでの日々の上に重なっていくような感じ。



急に今年の後半と、来年のことまで見えて来た。。。

そう、ちょうど2年前になる2013年夏ころの、激しめの出来事の重なり合うポイントがあったのですが、お腹の奥やその周辺から出て来たのはその時のエネルギーでした。でも、癒しや解放が起きたというのとは少し違う。そして結局、エジプトの過去生にも通じていった。。。(そういう流れか、まさかの)そしてとても、楽になりました。別の世界に感じられるほどに。

別の世界なんだよ、と知らせるような情報が、たくさん流れ込んで来ました。

もう、世界は多次元の折り重なり合うフィールドであると、科学も気づき始めたら、それは人々の生きるツールとしての知恵に、変っていくのでしょう。うまく説明していけるかな。Arganza の新しいワークや講座、カレッジの今後、セイリオス、石巫女、読書会、執筆活動・・・色々な角度から試していけるかな。



Love and Grace,

Amari

2015年8月1日土曜日

空と光の向こう側


アルガンザ『石巫女クラブ』11月開講(~3月まで)

せっかくのネーミング。和のテイストにこだわり?たいと思っています。石に宿るスピリット「いしだま」と語らい、その世界と天地、人の世界をつなぐ。きっと私たちが過去生で?やっていたであろうシャーマン道を想い出しながら。。。




なかなかに濃密だった、この一週間のダイヤリーを、毎日みとれるほど美しかった夕空の写真とともに綴ろうかな。すべてサロンのあるビルの玄関テラスから。(スマホで撮影)


前記事を書いたのは23日木曜日か。。
土曜日、25日に『エネクリ』を、27日には本家ブログ『世界樹の木影で』を更新していますので、良かったら合わせてご覧ください。

これらのブログにも書いているように、目下、メンタル体の進化期なのだと自覚している日々ですが、先日書いたような哀切や虚しさへ通じる静かな悲しみみたいなものって割と自分のかなり古い時代からずっと持っているものでもあります。転生ソウルたちの記憶だと思いますが・・「普通の人」として生きたことが多分ほとんど・・きっと数えられる程しか、「無い」ようなので(笑)今生、ヒーラーをしていて、その立ち場としてのあれこれという所に、恐らくソウルたちの記憶も直結しているのかもしれない。「ハピ」「ガイアナ」などの主人公の巫女姫などもまったくそういう所を源にしているのだろうなあ。

そうそう、先日、カレッジ生でヒーラーさんをしている方のオリジナルワークをモニタリングさせていただく機会がありました。人様のセッションを受けるというのもたまには良いですよネ。そのときにリーディングして頂いた中に、とても興味深いものがありました。

過去生の私と思われる女性シャーマン、コンビを組んでいる男性シャーマンが、ともにアースワークのようなことをしている中で、男性のほうが「龍に取り込まれてしまった」・・そのまま呑み込まれたか、龍に変ってしまったようなヴィジョンだったようですが、その龍を私が岩戸のようなところへ封印したというお話でした。

その方も、男性が『龍に呑み込まれて龍に変った』というヴィジョンは「エネルギー的なことなのかも」とも仰っていましたが、何となく記憶が開くように私も、それは「逆の力に取り込まれてしまった」ということではないかなと感じ、何かとても深い所へ、響いていくような気がしました。そして文学的に頭の中で物語を巡らせてしまったのですが(笑)・・(空想におつきあい下さい)

パートナーシップで動いていた相方を、(あえて表現するならば)闇の力に囚われてしまったという理由で、自ら封印することを選択したら、それはそれは、思い残すだろうし、後悔や自責や悲壮感も残るのではないかな。ましてその相方の魂は、人の転生にその後戻っただろうけれど、まだ拾いあげなくてはならない断片のように、その場に記憶を残しているかもしれない。古代の日本かな、という感じでその場では聞いていたけれど、レムリア系のエネルギーだったし、よりエネルギーがダイナミックに実在していたような気がするので、日本は日本でもレムリア期かもしれないな。。と。きっと、自分の側のその時の記憶、とくに最近浮上していた悲壮感のようなものを、癒して頂いたように思います。A さんありがとう!

超古日本のあれこれも自分にあるのだろうし、現実でここ2週間くらいかな、行き交っていたエネルギーは、思えば7月始めの読書会での、私以外のメンバー四人で急に起きていた瞑想ワークから、一連の数珠だったのかもしれない。そんな呟きでしたが、アースワークは迫られた時には動きますが、最終的には執筆の中に(自動書記によるチャネリングで)真実を求めていこう。



26日(日)は、午前は3期生の方、午後は卒業生の方が来てくださいました。ソウルインテグレーション、レコンセクレーション。「木影」の記事にもすこし書きましたが・・生き生きとした姿に、むしろ私が元気を貰った様な感じでした。ありがとう~。


そして28日(火)、29日(水)には例の・・レコーディングinサロン。の筈でしたが、作曲をその場でしてもらう所までで時間切れ。さああ~大変。私の声をかぶせる所までいかず、CDとして完成するまでまだまだ、ハードルが幾つか。夏休みになるべく食い込まずに3期生の皆さんにお渡しできると良いのだけど~~~ 頑張ります。



私自身の7月終盤の「集大成」をひとつ。。。仏典に出てくるシャカの過去生のひとつとしてのエピソード。『捨身飼虎』(しゃしんしこ)

飢えたトラの親子のために、自分を食べなさいと身を供するお話。

そんなことは勿論、する必要ないのですが・・神智学的な視点・タマシイ論として語るならば、おそらく、愛の究極の体現であることから、神智学でいう「第四イニシエーション」(自己犠牲、キリストの十字架的なレベルの自己犠牲)により、恐らくそれで人類への転生を卒業するような秘教的イニシエーションであると言えるのかもしれません。

多分これは大げさな話ではなく、その時に発する意志と精神のエネルギー周波数を思えば、人類を卒業するための課題として、尤もだと思う。先日、あるカレッジのクラスで話題に出ていたスペインの映画「パンズラビリンス」も、そういえば、一言でいったらそうなのかもしれず。アセンションとは何かを、違う角度から考えることに通じるかもしれない。

「自己犠牲はもういりません」と、この世界ではよく耳にします。それは、シャーマンや巫女や聖職者、異端者などの転生が多いであろうライトワーカーの人たちの合い言葉のようにもなっていて、確かに、そういう過去生を現世ではもう、繰り返す必要はないから、そのような分身の自分からくる、過去の記憶を手放し、自分らしく生きながらライトワーカーをしていこうという、ポジティブなキャッチコピーなんだと思います。

私自身もそのレベルでいえば、尤もだと思うし、これまで沢山手放して解放し、更新して来たと思う。地球創世に関わるアンドロ天使の集合的な解放も一段落し、そこに関わった、あるいはそこから長く引きずったスピリット、ソウルにとっての様々な記憶のエネルギーを、もう手放しましょうという局面がこの春に展開し、深い所でとても楽になっていました。ですが・・・

非常に分かりにくい所で、自分自身にさえ気付かれないように、この『捨身飼虎』(しゃしんしこ)の精神が潜在意識で働いていたんだということを、初めて自覚。それは、かつてそういった(神智学の表現でいうと)『神聖なる犠牲』を通じて、アセンドし、高次へと遷移したスピリットの記憶から来ていたのではないかと、思う。それをすることが、自分のアイデンティティの一つのようであるかのように、三次元パーソナリティどころか、転生ソウルのレベルでさえ恐らく、ごく自然な自分の一部のように馴染んでいたのだろうと。

分かりにくい「犠牲」意識。自分を供してもいい、それで相手がより魂の世界に近づけるのなら。

そのために必要なドラマ、アストラルフォースの関わり合いの中に、自分を投じる。

これは、自分がそこを立ち去ろうと本気で、深い所から、「今なんだ」と深く刺さるように決意するまでは、何となく自覚していてもどうかしようとは、どうにかなるとは思わなかった不思議。立ち去り始めた時こそ、今迄居た場所が何だったのか、客観的に分析できるようになる。

気づいたことは、それを解放することで人の世に混じり生きていくためではなくて、
気づいたことで、自分はそうだったと寧ろ、スピリットの意識により比重を預けていく方向性。

だから、最近あちこちのブログで書くように、
解放する・手放すではなく、

「受け入れて、越えていく」

人間である生身の中に、その『必要性』をインストールする。そこでじゃまになる、摩擦を生み出す「パーソナリティ側の傷み』が、作動しないように・・そちらを、外して行く。

ようやく到達した、意外な、気づきとイニシエーションでした。

折しも満月を越えて、今日から8月です。



Love and Gratitude,
Amari